福徳神社 御朱印

都会も都会、銀座のまん中にある神社。

ビルとビルの間の参道を進みます。

通りを渡って行きます。

いきなり立派な鳥居が現れます。

夜になるとライトアップもなされるようです。

徳川家康公も参拝された由緒のある神社です。

綺麗な社殿には、平日にも関わらず参拝の方が絶えません。

手水舎の裏には散歩路もあってほっこりします。

狐の狛犬さん♪

ご利益は何と言っても「運」

宝くじを入れておく袋も大人気です。

東京8社を巡る「福めぐり」にも協賛しています。

…セルフ式でしたw

自分でぺったんと押してまいりました。

「福めぐり」の詳細はこちらでご紹介しています。

福徳神社(芽吹稲荷)

御祭神:倉稲魂命〈うかのみたまのみこと〉
相殿:天穂日命〈あめのほひのみこと〉大己貴命〈おおなむちのみこと〉少名彦名命〈すくなひこなのみこと〉事代主命〈ことしろぬしのみこと〉三穂津媛命〈みほつひめのみこと〉
合祀:太田道灌〈おおたどうかん〉弁財天〈べんざいてん〉徳川家康〈とくがわいえやす〉
所在地:東京都中央区日本橋室町2-4-14
電話: 03-3276-3550
交通アクセス: JR総武快速線 新日本橋駅/東京メトロ銀座線・半蔵門線 三越前駅 A6番出口より徒歩1分
御朱印受付:10時~15時

当社の創祀された時は明らかではありませんが、当社に伝わる略記によると、貞観年間(清和天皇・八五九~八七六年)には既に鎮座していたようです。

武蔵野の村落である福徳村の稲荷神社として祀られ、その地名をとって社号としました。

その鎮座する社地は広く、社殿も宏壮で、社の四隣は森林、あるいは田畑に囲まれ、農家が散在する片田舎でした。土地の人は神社の森を稲荷の森、その森の一端に建てられていた里程標(石造一里塚)を「稲荷の一里塚」と呼び親しんでいました。
後の明暦三年酉年(一六五七)正月八日の大地震により、一里塚は崩壊してしまいました。
当時の人々は、この散乱した碑石の残存した破片を集め保存したと考えられています。

そもそも当社は、元来武将の信仰があつく、源義家朝臣(みなもとのよしいえあそん・一〇三九~一一〇六年)が深く崇敬されていたことが記されていた、と伝わっています。江戸幕府以前には太田道灌公を合祀し、その兜・矢・鏃などが奉納されたと伝わっています。

天正十八年(一五九〇)八月一日に入府した徳川家康公は、同じ八月に初めて参詣され、その後参詣は数度に及びました。

芽吹神社 御由緒

さらに、二代将軍秀忠公は慶長十九年(一六一四)正月八日に参詣し、「福徳とはまことにめでたい神号である」と賞賛されました。この時、当社古例の椚の皮付きの鳥居に、春の若芽の萌え出でたのをご覧になり、当社の別名を「芽吹神社」とされました。
元和五年(一六一九)二月に御城内の弁天宮を当神社に合祀するにあたり、将軍自ら神霊を納められ、大和錦の幌を奉納され、さらに「社地縄張を三百三十坪」と定められました。

<福徳神社ホームページより>

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